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 瀬戸内少年少女寫眞展 回顧録

素敵なご縁をいただき、参加させていただいた【瀬戸内少年少女寫眞展】が、本日、大盛況のうちに幕を閉じました。自分で言うのもなんですが、今回のグループ展はとても素晴らしい「寫眞展」でした。それぞれの出展者の個性は違うものの、何処と無く同じ匂いが感じられ、会場内順を追って作品と対峙していくなか、どこかで何かが繋がっている…そんな安心感にも似た心地よさが感じられました。それは、やはり「瀬戸内」というキーワードに、それぞれの想い入れがあったからだと今振り返って強く感じています。多くの方にお運びいただいたこの素晴らしい寫眞展に参加出来てホントに良かったです。ご一緒させていただいた素敵な出展者の皆様、そして何より…お忙しい中、会場にお運びいただいた皆様にこの場をお借りして御礼申し上げます。幸せな時間をありがとうございました。 2018.10.21 硯谷昭広

素敵なご縁をいただき、参加させていただいた【瀬戸内少年少女寫眞展】が、本日、大盛況のうちに幕を閉じました。ただ広島生まれというだけで「瀬戸内少年少女」を名乗るのはおこがましいし、フィルムで撮影し、とことん納得するまで焼き直し作業に精魂傾ける皆さんの中に、ボクみたいなデジタル・レタッチ野郎が混じる事にも申し訳ない気持ちでいっぱいでしたが、ご参加の皆様の郷愁誘う作品に触れ、フィルムとかデジタルとか、そんな事を気にしていた自分が情けなくなりました。自分で言うのもなんですが、今回のグループ展はとても素晴らしい「寫眞展」でした。それぞれの出展者の個性は違うものの、何処と無く同じ匂いが感じられ、会場内順を追って作品と対峙していくなか、どこかで何かが繋がっている…そんな安心感にも似た心地よさが感じられました。それは、やはり「瀬戸内」というキーワードに、それぞれの想い入れがあったからだと今振り返って強く感じています。多くの方にお運びいただいたこの素晴らしい寫眞展に参加出来てホントに良かったです。お声掛けいただいた近重様、プリント・額装にご尽力いただいた木野さん、秀逸な会場レイアウト・DM作成・その他いろいろな面で写真展を仕切っていただいた青山様、会場をご提供いただいたPaper Pool様と、そのスタッフの皆様、ご一緒させていただいた素敵な出展者の皆様、そして何より…お忙しい中、会場にお運びいただいた皆様にこの場をお借りして御礼申し上げます。幸せな時間をありがとうございました。 2018.10.21 硯谷昭広

変わらぬ日常の中で
 
 
亡き父を一言で形容するなら、忍耐の人。
そして、母は鉄人(ごめん!)。
 
父は14才の時に広島で被爆しました。
体の数ヶ所に大きな火傷を負いましたが、特に両足膝下の火傷は酷く、ビニールのようにピンと張った薄いケロイド状の皮膚の下には白い脂肪層が透けて見えるほどでした。
その皮膚がひきつる痛みに耐えている姿に、ボクら家族は何度も皮膚の移植手術を勧めましたが、頑なに拒絶し続けた父がようやく手術を受けてくれたのは、サラリーマン生活を全うし定年退職した後の事でした。
ボクら家族を守るために、ずっと痛みに耐え続けて頑張ってくれたのだと思います。
 
母はこの5年の間に2度、大きな手術から生還を果たしました。
一度目は頚椎症性脊髄症による四肢の完全麻痺の状態から、頚椎の「開放手術」により手足の痺れという不自由さは残りましたが、手術前の「要介護4」から「要介護1」まで認定が戻ってしまうくらいの回復を見せてくれました。
しかし…その後のリハビリを続ける生活の中で再び病が母を襲いました。
病状は心不全。検診に行った病院で、即入院!そのまま設備の整った大学附属病院に救急車で搬送。その2日後には緊急の大動脈弁置換手術を受けました。カテーテルを使うTAVIという難しい術式の手術でしたが、なんとか無事に乗り越えてくれたのですが、その翌日…考えられないような問題が発生し、結局「開胸手術」を受ける羽目に…。高齢ゆえに負担は少ないが難易度の高いカテーテル手術を選択したと言うのに、結局開胸…この時だけはボクら家族もさすがにそれなりの覚悟をしました。
まぁでも、そこはさすが鉄人です。2日後、意識が戻った時に「今度ばかりは死ぬかと思った!」と、さらりと言って退けましたから。
 
この二度に渡る大病で、母は5年の内に何度か入退院を繰り返しながら、延べ3年強の長い期間を病室で過ごすことを強いられました。
その間、父はひとり実家で母の帰りを待っていたのです。

父はどちらかと言えば寡黙、母は誰とでも直ぐに友達になれる社交的な人。そんな母がいない家は、父にとってはまさにロウソクの火が消えたような寂しい空間だったと思います。母の退院で老老介護という二人にとっても、関東で暮らすボクら姉弟にとっても厳しい状況ではあるものの、やっと二人の穏やかな時間が戻ったわけですが、その時間はそう長いものではありませんでした。
 
今度は父が入院です。
 
 
数年前からの腰痛が悪化し、頻繁に整形外科に通っておりましたが、その痛みがとうとう限界に達し入院することに…。
2016年、12月に入ったばかりの頃でした。入院当初は「年明けは家で過ごす」ことを目標としていましたが、そろそろ退院という時期にラクナ脳梗塞を発症し退院は延期…。そこからは坂道を転がり落ちるように病状は悪化していきました。
ラクナ脳梗塞による運動機能低下から嚥下障害を引き起こし、それが原因で誤嚥性肺炎に…腰痛で入院したはずなのに…。
病状はどんどん悪化し酸素吸入器を付けられ、まともに意識があるのも1日に1時間くらいという状況の中でも、父の口から出る言葉はいつも「家に帰りたい…つれて帰って」の一言でした。
 
2017年2月27日の夜9時を少し過ぎた頃、実家で母と食事を終え、くつろいでいる時に家の電話が鳴り響きました。
呼び出し音が続くなか、少し強張った表情になった母を前にして「この電話出たくないな…」そう呟いてしまったのを、今も鮮明に覚えています。
病院に駆けつけた時、父はすでに人工呼吸器によって「生かされている」状態でした。
まだ14才という少年の頃に被爆し、想像を絶する体と心の痛みに長年耐え、母の退院をひとり家で待ち続けた父。
そんな父にもうこれ以上苦しい思いをしてほしくない、これ以上苦しい思いをさせてはいけない…
ボクに選べる道はもうひとつしか残っていませんでした。
 
「お父さん、家に帰ろう。」
 
葬儀社の車で父が我が家に帰宅したのは、明けて2月28日の深夜1時頃だったと思います。
そして、その2月28日は母の誕生日。
寡黙でどこまでも控えめな父は、狙いすましたかのように母の誕生日にきっちり家に帰るという大胆、且つ情熱的な偉業を最後の最後にやって退けました。母の誕生日を自分の命日にすることを避けるため、自ら幕を引いたのかもしれません。
ありえない話ではありますが、そうボクらに思わせてしまう…それくらい母を想っていた父でした。
 
父の忍耐、母の鉄人という素養は、二人の姉にそれぞれ受け継がれました。
でもボクは、もっと大切な父の想いに守られているのを強く感じています。
以前、父が原爆被爆者の体験記に寄せた文章の一節に「健康が欲しい。人並みの健康をください。」と言う切なる願いが残されています。ボクは、父が強くそう願い続けてくれたからこそ、変わらぬ日常を普通に健康に生活できているんだと実感しています。まぁ普通に健康という以外、他には何の取り柄もありませんが…。
でも、その普通という事が何より尊いと教えてくれたのは、紛れもなく「この二人」なのです。
 
 
今回出展させていただいた写真は
母が頚椎開放手術から生還を果たした後、おだやかな日々を過ごしていた頃の父と母の日常のひとこまです。
 
SONY α7 + RAYQUAL NFG-SaE + Ai Af Nikkor 35mm f2D

 
 


 【瀬戸内少年少女寫眞展】
瀬戸内海式気候というものがありますが、雨が少なく温暖な土地に暮らす人々には、どこか共通して穏やかでのんびりしたところがあるように思います。
静かに凪いだ海と光と風と、波間に浮かぶ小さな島々と。岡山、広島、香川、愛媛…、瀬戸内で生まれ育ったり所縁があったり、そんな9人の瀬戸内少年少女の寫眞展です。
 
【出展者】
 青山 史子
 カガワ ナツコ
 杉守 加奈子
 硯谷 昭広
 田房 真希
 近重 幸哉
 中西 憲吾
 三宅 順子
 六車 文子
 
【会期】2018年10月11日-21日
【会場Paper Pool  東京都目黒区祐天寺2丁目16番地10号 たちばなビル2階


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